これくたぶる!

モンスターマスクコレクター、ALI@ハット卿のマスクと本と映画に関する無駄話。不定期更新。

怪談本の世界−彩雨亭鬼談/杉村顕道怪談全集

最近、新刊書店に行くと怪談本のコーナーなんかが出来ていて、怪異談、主に実話系のものが結構な量がずらりと並んでいたりする。
当方、この歳まで一応、怪奇幻想一筋(?)で来ているので、当然、何冊か手に取ってパラパラとめくってみるのだが、中には面白そうな内容のものもありながら、いかんせん、文章が良くない。
味わいがないというか、語彙、描写のセンス、余韻、雰囲気等々これっぱかりもない。滋味に乏しいというか、すべてぶち壊しみたいな書き方で、実に残念というか、もったいない感じなのだ。
ゆとり教育で世の中から教養というものが消えてしまったせいなのかしらん、などと思ったりしているが、ケータイ小説ラノベしか読まないような人に文章を書かせたらこうなってしまうのかもしれない。

こんな状況なので、やはり実話より小説の方が良いなと思っていた矢先、本家の方の掲示板で杉村顕道の怪談全集「彩雨亭鬼談」(荒蝦夷刊)の復刊を教えられた。やれ嬉しやと早速注文して一読。古いながらに久しぶりに味わいのある怪談集でかなり楽しめた。

「彩雨亭鬼談」は杉村顕道の「怪談十五夜」「箱根から来た男」「怪奇伝説 信州百物語」の3冊の怪談集を1冊にまとめたものに、これらに未収録の関連作品を拾遺として収録しており、これ1冊で杉村顕道の怪談の全貌にほぼ触れることができる実にありがたい1冊である。

「怪奇伝説 信州百物語」が昭和9年、「怪談十五夜」昭和21年、「箱根から来た男」昭和37年とさすがに古い内容ではあるが、同作品の異稿を多く含んだ「怪談十五夜」と「箱根から来た男」には今読んでもそれほど古さを感じない良い作品がいくつかあって、これらの作品をいち早く発掘、評価した紀田順一郎氏の慧眼にいまさらながら感嘆した。

「怪談十五夜」が15編、「箱根から来た男」が21編収録だが、集中、観劇好きの幽霊の登場する「ウールの単衣を着た男」が、やはりベストだろう。

かつて立風書房の怪談アンソロジーにも選ばれたことのあるこの短編が現在でも読むに耐えるのは、ウールの単衣を着たこの奇妙な男との遭遇を淡々とした語り口で進めるその手際と、幽霊の素性やなぜ語り手の前に、しかも「劇場限定」で現れるのか、その理由を一切明かさない不気味さにある。

また、「白鷺の東庵」も、死んだ子守り女の霊が特別怖いわけではなく、囲碁に対するその異常で理不尽な執着がなんとなく気持ち悪いわけであり、この辺がギリギリ現代感覚にマッチするところだ。

この2編に共通するのは奇妙な不条理感といったところだろうか。

かつて都筑道夫は、江戸時代の怪談『怪談老の杖』にある一つ目小僧の話を例に不条理感を説明したことがあった。

『怪談老の杖』の一つ目小僧の話はこんな内容だ。


江戸の四谷に住んでいた小嶋弥喜右衛門と言う男が、所用で麻布の武家の屋敷へ赴いた。
部屋で待たされていたところ、10歳程の小僧が現れて、床の間の掛け軸を巻き上げたり下ろしたりを繰り返し始めた。

弥喜右衛門が「そんなことをすると掛け軸が傷みますよ」と注意したところ、小僧が「黙っておれ!」と振り返り、その顔には目が1つしか無かった。
弥喜右衛門は悲鳴を上げて倒れ、声に驚いた屋敷の者により自宅へ運ばれた。


この話で都筑道夫は怖いのは一つ目小僧ではなく、小僧が掛け軸を巻き上げたり下ろしたりする無意味な行動だと喝破していたと思う。
現代的な観点から分析するとまさしくその通りで、無関係な人間に無意味に殺害されるかもしれない恐怖にさらされている我々現代人にも通ずる恐怖だろう。
かといって、闇雲に無意味な話を書いたとしてもすぐに傑作にならないところが難しいところなのだが。

閑話休題

ということで、資料としても読み物としてもホラーファン必携の1冊。いまどきのSF的な展開とツイストの効いた落ちを期待する人にはちょっと物足りないかもしれないが、古い怪談本に関心のある方には是非。

なお、宣伝というわけではないが、ビーケーワンさんで本書を2010年4月4日(日)までに購入すると、本書未収録の異稿のテキストをメールにて配信するとのこと。ちょっと面白い趣向だ。


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